華包日本文化   遠州流華道のみに傅わる「華包み」は、文化文政期の初世貞松齋一馬の「正風切紙傅授書」にあらわされ、それをもとに明治44年六世貞松齋一馬(芦田春寿)が京都紫野大徳寺孤篷庵、忘筌の室で折方、色彩などを完成させました。    
「華包み」は・・・・・
文化、文政期(西暦1780年代)に遠州流華道「正風切紙傅授書」に伝わる華包みに光を当て、奥深い自然と四季のめぐりとともに生きる日本人の心を、現代の美意識の中にとりもどす為、多く人々に楽しんでいただくため、普及をめざし、花を贈る行為にとどまらず、現代の生活空間に雅びな「和」を演出するよう、流派をこえて提案する「華包み研究会」を発足させました。掛け花、又は置き花として小さな空間に和紙の(襲)と季の花との出会いは、御自身のやすらぎはもとよりおとずれる人々に「おもてなし」の心を表現するものと思います。(「正風切紙傅授書」の読み方しょうふうきりがみでんじゅしょ)
     
       
     

正風切紙傅授書(1780年代)