遠州は全国各地に教場があります。掲載情報はしばらくお待ちください。
お急ぎの方は本部事務局へお問い合わせください。
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芦田一春(七世 貞陽斎石一春)
父である遠州正風宗家・芦田一馬に師事。
平成12年(2000)3月、宗家継承者七世貞陽斎石一春を襲名
平成16年(2004)3月、京都造形芸術大学芸術学部美術工芸学科陶芸コース卒業
平成22年(2010)3月、遠州華道会会長就任
平成28年(2014)7月、(公財)京都市芸術文化協会新人賞受賞
毎月25日、錦天満宮でのいけばな教室で直接指導を行っています。
伝統である、いけばな。
昔のままのいけばなを伝えていくのは大切であるけれど、時代によって形も少しずつかわってゆく。
時代の流れに対応でき、なおかつ流派の格花をくずさず「哲学」「思想」等、どのように伝えていけばよいか、未来にいけばなを残すためにも、いま、どのようにしていけばなを身近に感じてもらうか、その中でも伝統を守りながら伝えられるか、若い私たちがもっともっと考えていかなくてはならないと思う。
1つだけ『革新があるからこそ、伝統が美しく思える』のであろうと、私は思います。
技術の難しさ、そして美の心の難しさ、曲、空間、思想、哲学などに魅力を感じます。
一番の魅力は「そう簡単にいけられない所」
見た感じは、姿、型、形、曲、技術、すべてがうまくできてるからといって、それが完璧で完成ではない、という所。
遠州の美の奥深い心、難しさ。学んでも、学んでも、学ぶことが沢山あり、考えたり、悩んだり、
そういう楽しさがあると思います。
芦田一馬(七世 貞松斎米一馬)
昭和13年(1938)2月、東京に生まれる。4歳のとき故郷の京都にかえる。幼少より祖父である先代宗家に華道を学んだ。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)では、デザインを専攻する。
昭和40年(1965)、宗家の後継者である六世貞陽斎石一春を名乗った。
昭和42年(1967)2月、遠州流十四代正風宗家を継承し、七世貞松斎米一馬を襲名。伝統流派としての遠州流に新風を送り込む。同時に、遠州流華道会組織し、会長に就任。
昭和56年(1981)、「正風遠州流」と慣用していた流名を「遠州」に改めた。
昭和64年(1989)、京都芸術短期大学非常勤講師を務める(平成6年まで)。
平成02年(1990)、京都市芸術文化協会賞受賞。
平成10年(1998)、京都市自治百周年記念表彰。
平成21年(2009)、中国・西安市の「第2回中国杯いけばな芸術大会」に団長として招待出瓶。同年、華道京展特別功労賞を受賞。
生花、新生花、正風花、盛花、投入花、園芸いけばなを体系づけたり教授資格取得までのカリキュラムを整備したりと、東洋哲学と美学を尊重したいけばなの研究と発展に努力している。
小堀遠州公の美の心を伝える遠州の華道は、江戸時代文化、文政期に初世貞松斎米一馬によって遠州正風挿花として完成され、以来現宗家、七世貞松斎米一馬<芦田武久>まで14代に及ぶ伝統を有しています。
遠州の華道は曲線を主体とした流麗な円の花形で浮世絵などとともに江戸時代を中心に大流行したことはよく知られています。
現代では、その生花を基に新生花、正風花、盛花<華皿華>、抛入花、生花の美を簡素に引き出した端麗花、和紙とともに楽しむ<華包>や鉢物と切り花を調和さす、<遠州ポピンズ>や、現代花21と呼ばれる新しい新構成の花まで、広く楽しめる日本を代表する流派の1つであります。
最後に華道遠州を名乗る流派が正当のように言っています。この流派の代表者達は当流を除名、破門されたもので、当流派とは一切関係ないことを申し上げます。
宗家・宗家継承者および各支部が関係する催し・お稽古については、随時更新していますので、以下のリンクから最新の記事をご覧ください。