「遠州」の花形⑤-新生花

遠州の生花は、円相と天地人の理念をもとに「曲・質・時」の内容をととのえて自然の理想美を求めてきましたが、その姿は時代とともに多少とも変化せざるを得ないのが自然といえます。
もちろん、これまでの生花を否定するものではありません。それだけでは満足しがたいほど多面的になった現代の要求に、生花という枠組みの中で答えようとするのが、いわば新生花の考え方です。
新生花は古典生花が持っている役枝の変化の面白さを充分に理解し、自分の中で再度組み立てます。

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寒桜を、内胴流し風に勢いよく振り出し、枝先を吹き返しの枝のように立ち上がらせています。桜の枝が流しとなり線を強調していますので、真の部分にさつますぎをしっかりとすえています。このさつますぎは、整理のしにくいものですが、このような花材はあまり持ち味をころさないようにだんだんに、無造作に扱うことも時には大切になってきます。形や風情の異なったものが作り出す作品は変化があって楽しめます。

 

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今、まさに枯れはてる一瞬の輝き、紅葉の持つ美しさは、言葉には表せない美しさと、切なさがあります。 秋深く紅葉物が出回るとき、生け手の私達の心を揺さぶるものがあります。

 

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上段の流し、かぶり、落としといわれる枝使いを頭に入れ、寒桜の多数の枝ぶりをあまり落とす事をせず、左右へも広がりを持たしながら使っています。
古典生花では出来ない枝使いです。

 

新生花は数種類の花材をとりあわせていけますが、それぞれの花材の持ち味を生かさなければならないということで、花材のとりあわせが大切になってきます。

静から動へと移る瞬間に快い動きを感じるもので、動きっぱなしの作品というものは非常に不安定で、また、軽薄な印象を与えるものです。もちろん動きだけで構成する作品も考えられます。また、あえてそのような感覚の花材をとりあわせるといういうのも、1つの面白さが感じられるものです。

バランスを充分にとりながら、安定した中の動きやはかなさを出す、ということが遠州のいけばなの根本思想になっていますので、外側にウェイトがかかりすぎたような場合、内側のどのあたりでそれを補うのか、違った形のものを出しながら、それでいてバランスをとる方法を考えていかなければなりません。

「遠州」の花形④-節楽花

現在、植物の栽培技術の急速な発達に伴い、季節感をなくした草がお花屋さんの店先を賑わせています。 従来周年ものと分類されていた草木以外に、1年中出回っている花が多くなり、季節感も喪失してしまいました。節楽花は、 いけばな本来の姿に立ち戻り、歳時暦、特に二十四節気と密接関係を保ち、節気を楽しむ花として位置づけられます。

移り変わる四季を感じる

伝統的ないけばなの自然と共に生活する考え方は今を生きる上で最も重要な事であり、少なくなったとはいえ日本の移り変わる四季は生命の大切さを感じ、生きる事への偉大な力を感じるものであります。自由で豊な発想からなる植物の新しい美や心の発見も大切ですが、広く多くの花を愛する人達に親しみやすく、自然を感じ、その移りゆく姿に感動を与える花なのです。

歳時とは、文字どおり年と時、一年中の折々の自然・人事・諸事全般を指します。その節目節日が節句であり、その間あいだに節気があります。二十四節気は一年を12等分したもので、個々の名称は簡潔で美しい季節の言葉の数々です。これは中国から伝わった暦の一種で、古代の天文学に、基づいてつくられたものですが、四季折々の時候、天文、地理、動植物の様子が的確に捉えられています。わが国にも早くから取り入れられ、日々の暮らしが四季の移ろいに最も密接に結びついていた時代には、広く愛されたものでもあります。

四季の草木の自然のありようを、出生を生かしながら一瓶上にあらわそうと試みたいけばなは、その誕生当初から歳時暦と共に発展してきたと言って過言ではないでしょう。それは、伝書を繙けば必ず歳時と行事の花の秘伝がみられることでも明らかです。

 

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新緑の美しいイタヤカエデでは、これから新芽が伸び緑が増す頃、水辺にはかきつばたの花が開きます。上・中・下段にイタヤカエデを配しながら中段の空間を意識し、そのなかにかきつばたを配しています。花一輪を生かしながら季節の水辺を感じさせます。(5月21日・小満)

 

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上、下段に分けた作品で、下段は複合として、椿の葉となでしこで構成しています。ここではフトイを季の花として扱い、夏の深まり繁りを増すフトイのイメージを大切にしています。梅雨時の梅や風で折れた風情も表しています。(6月中・大暑)

 

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上・中・下段に配された花材で構成しています。夏の花、ひまわりを季節の花として捉えています。下段にあせびをマッチ状に配し、上段のひまわりを印象づけます。中段にはアメリカシャガを使って作品の強弱の変化をつけています。(7月中・処暑)

「遠州」の花形③-正風花

正風花とは生花の基本の花型と理解していただければよいと思います。

生花に於いては、天地人日月星辰乾坤と呼ばれる9本の役枝によって完成させますが、この9本の役枝の元になる枝は天地二枝からはじまります。ひと枝は天に向かって伸ぴて行く枝であり、もうひと枝は水際を引きしめるように下段に位置する枝の事です。この2本の枝の中間から張り出すように伸びる枝、流し枝又は持ち出しの枝と呼ばれるものが加わって3段の花形をつくります。これが人(行)の枝と呼ばれるものです。
遠州ではこの流し枝に面白味と植物の自然の伸びやかな姿を求めて非常に大切な枝として扱われます。このように3本の役枝を基本の考えとして構成するのが正風花です。

山・里・水

自然の植物をもって構成する遠州の生花は自然の景色を写すという考えがあり、天、地、人の役枝に上段の方から山のもの、里に生育するもの、そして下段に水辺の植物を配するように教えられています。

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「遠州」の花形②-生立華

生立華は初期の頃、神仏への献花・供華としての性格を残していました。そのため、一枝一葉に祈りをこめて生けられたと考えられます。

生立華の構造は、大自然の山嶽美を理想化したものです。つまりその姿は、大自然が遠く近くに展開する景をさながら連想させるものです。

生立華は立てる花

生花や盛花は、「いける」と言い、決して生花を「立てる」とは言いません。つまり、生立華は立てることを原則とし、大自然の美とその心を表現しようとする花なのです。

遠州のいけばなの根本

遠州の生花の流麗な美しさは、流内外に知れ渡っていますが、その生花は、生立華から生まれ、生花の天・地・人の三枝の基本概念が盛花、投入花の様式を生んだのです。

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「遠州」の花形①-生花

一円相の考え方やあり方は、遠州の実際の生花に、どのような形で具体的にあらわされているのでしょうか。遠州の書に、「当流の花は一体をまどかなる姿にいけなすべしといえるには、一円相は陽なり、半月は陰なり、この二つを合わせて陰陽合体の花というなり。されども真(中心になる枝)をたてるに円相の内より少しのびて良し、みつればかくる習、まどかなるはかくるに早き理ありて陰に近き故に真を少しのばしていくる、これ格を守りて格をはずすという」とあります。つまり、陰陽を合わせてまどかなる姿にいけるわけですが、円相を左右にわけて考えた場合、花姿の「外」に形どられる「半月」の陽と、花姿の「内」に形づくられる「空間」の陰とを合わせて、まどかなる円形の姿が瓶上にあらわされるのです。花姿はこのように半月形にいけられますが、その半月はあくまでも満月(円相)を想定した半月の形であって、残りの空間を構成の要素に含めていけられるのです。このとき、満つれば欠くる習のように、まどかにすぎてもよくないので、中心の枝(真)を陰陽合体の円相からすこし伸ばして格をはずすというのです。円相は、理念としては、「円にあらず方にあら」ざるものですが、生花の具体的な形態としては、中心になる枝をめぐってまどかなる形をとり、それを円相から外に伸ばして「不円不方」を象徴することになるのです。

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杜若の株分け挿し

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水仙を三段にいける

「遠州」の特徴⑤-華神祭

初世貞松斎米一馬が正風挿花を大成したのは、江戸時代の後期、寛政十年頃であって、以来随時随所に花筵をひらくとともに、華道感謝のために 「華神祭」を執行し、そのときの図編『衣之香』を発行しています。その巻頭には、始祖貞松斎の指導者である各師匠の序文および図絵が自序とともに記され、山本北山先生の序文中にも、「華神を祭る」という句が記されています。そして、この「華神祭」はその後の歴代宗家によって毎年執行しつづけられているのです。

華神祭のようす
宗家による献華(2019年)

「遠州」の特徴④-華包

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華包(六世貞松齋一馬(芦田春壽)『華包』より)

遠州正風挿花の基本花枝から、一つを取り出しその枝の持つ特徴を美しい曲線美をつくりだす花形です。

華包とは

江戸時代(1780年代)、初世貞松齋米一馬が著した花伝書『正風切紙傅授書』の華包を基に明治44年(1911)に六世貞松齋米一馬(芦田春壽)が、各花、行事、また、贈答用にそれぞれ紙の折り方色彩を定め完成させられたものです。七世貞陽斎一春(芦田陽子)が、この華包を現代の生活の中に取り入れ、新しい日本の美の花飾りとして普及に努めています。

 


華包とは

華包の活用例

「華包」は、和紙に包んだ草木を贈答とする文化を今日世界へ再提案し、「華包」を花器と見立て四季の草木をか生かすものです。季節の草木に合わせ、『華包』の伝書に基づき、花器となる和紙の色や折り方を提案します。現代の生活空間を華やかにする花飾りとして、また、大切な人へ送る贈答品として最適です。

室内の花飾りとしての「華包」
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玄関を彩る花飾りとして
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テーブルを彩る花飾りとして
贈答品としての「華包」

 

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モデル「TokyoRockets]さんと華包

「遠州」の特徴③-薬研配り・くさび撓め

薬研配り

遠州では、「薬研配り(やけんくばり)」という花留めを用いるところに大きな特徴があります。
この薬研配りは薬草を砕いて粉にする道具(これを薬という)にヒントを得て考案されたといわれます。
遠州の生花では、花材が配り(花留め)にしっかり留まっていることが最も大切な要件とされます。足元がしっかり留まってなければ、遠州特有のゆたかな曲線をあらわすことができないからです。

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くさび撓め

くさび撓めは、遠州の代表的な技のひとつであり、最も多用される技です。
のこぎりで切り目を入れたところに、別の枝から切り出した「くさび」をはめこみ、曲線をだします。

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「くさび撓め」の手法

「遠州」の特徴②-変格花矩・曲いけ

変格花矩の花体

変格花体は、花体を構成する役枝の1つ以上が、円相の外に流れ出しているものです。それを「流し」と呼びます。 この流しと役枝との関係から、変格花矩による花体の種類が生じます。それは次のような7種類です。

  1. 真流し(内)
  2. 真流し(外)
  3. 真添え流し
  4. 肩流し
  5. 内胴流し(内流し)
  6. 行流し
  7. 留流し

これら7種類の花体から、なお変化をあらわした花形に、次のような花形があります。

  1. 破格花体
  2. 曲いけ

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曲いけのいろいろ

曲いけというのは、役枝の曲が特殊な趣向を見せて流される花体で、「富士流し」「真結び」「行結び」「観世流し(立観世、横観世)」「行巻き出し流し」「留巻き出し流し」など様々な種類があります。 また、「二重撓め真」「三重撓め真」のように、真が二重にも3重にも曲を描いて豊かに立ち上る花体も曲いけにはいります。 このほか、真流しの変化である、「谷渡り」「谷越え」「水くぐり」などもあります。 曲いけは、遠州生花の特徴をもっともよくあらわす花形として、その流麗な線の美しさと作意の秀抜さが、古くから愛好されてきました。

左:富士流し/中:真流し 結び柳/右:外胴流し

「遠州」の特徴①-総論

遠州正風の花形と特徴

遠州の生花(古典生花)は、円相と、天・地・人の理想をもとに「曲・質・時」の内容をととのえて、自然の理想美を求めてきました。

正風遠州流の生花、正しくいうと、遠州流正風挿花、又は遠州流挿花正風体の基本は「正風の花のかたちはなべてみな一円相に納るるなりけり」という歌にも示されているように、「一円相」の理念によって形づくられています。

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松と桜の三重いけ

円相というのは、万物のもとや、はじめを意味する「本体」のことであって、角に対する丸という意味だけの円ではありません。「不円不方(円ならず方ならず)」といわれるように丸や角(方)を超えたものとして認識されます。ちょうどそれは、花卉草木に置く白露のようなもので、それ自身は無色透明ですが、花卉草木に宿ったときにはじめてそのものの色に染められるのです。この白露のように虚空そのものでありながら、いっさいのもとになるのが「本体」なのです。またそれは、存在するもの皆包むものとして「大有」ともいわれます。清浄透明の真如一乗の世界が、遠州流の円相の理念の根源をなしているのです。

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水仙一色

上記画像は「水仙三ヶ条」といい、季節の移ろいとともに、自然の水仙の姿が変化するのに合わせて花もいける。曲線を生かした理想の姿を描き出した。花器は香炉形。

 

いっさいの形を超えた「空」の円相は輪廻や循環などを契機にして「一円相」に関連していきます。つまりそれは、宇宙的リズムとしてはたらき、春から夏、夏から秋、秋から冬、そしてまた冬から春とひとめぐりします。ここではじめて「一」という形が出てきます。「空」から「一」へすすみ、「無」の円相から「一」の円相に発展するのです。

「円相」は「空」の円相の場から天地自然のリズムにを受け継ぎ、それを花の形おいて表現する場でもあります。

正風遠州流の生花の本質を形づくる一円相の理念は、単に仏教にみられるばかりでなく、西洋哲学や中国の易経・儒教思想の中にも流れている考え方です。たとえば易経では、「元享利貞」ということばがあります。これは、春夏秋冬の順序で時間がたえずぐるぐるまわって元にもどり、たえず円相を描くということを意味します。これをみてもわかるように、すべて自然の摂理か発した考え方で、非常に普遍的な発想でもあるわけです。

この一円相の考え方は、室町時代ころからいろいろな芸道に深く入り込んでいますが、その頃起こったいけばなもその例外ではなく、立花などにもみられるように、早くから円相に基づいた造型がくりひろげられてきたのです。けれども遠州の花道において、特にこの考え方が強くおし出され、初世米一馬がこれを完成したといえるでしょう。さらに先代の六世米一馬が集大成にこれをまとめたのです。

初世貞松斎米一馬の挿花図(江戸時代文化文政期ころ)

遠州では、生花を「しょうか」と呼び、天の枝を「真」、人の枝を「行」、地の枝を「留」と名づけている。花体(花型)はこの真、行、留を骨子にして形づくられるが、さらに必要な枝が加わって、役枝の数、つまり「段矩」が発展、いろいろな花体が展開される。

真(天)、行(人)、留(地)の三枝に真添(日)肩(月)内胴(星)、小隅(辰)の四枝を加えた七本の役枝による構成を七段の花体と言い、さらに外胴(乾)、留真(坤)の二枝を加えた九本の役枝による構成を九段の花体と言う。遠州では、この七段と九段の花体を基本花型として、花型修得の第一課にすえている。

なお、真(天)と留(地)だけで溝成される花が二段の花体、真(天)、行(人)、留(地)の三本だけで構成される花が三段の花体、真、行、留に真添(日)と肩(月)を加えて構成される花が五段の花体である。段拒はさらに十一段、十三段、十五段のように発展する。

役枝はすべて花器(寸度)の寸法の二倍を直径とする円(円相)を基準にしてきめられる。寸度の寸法の二倍を直径とする円を花器の上に想定したとき、真は弧を描いて立ち伸び、先端が円を突き抜ける。真添と肩はそれぞれ真に沿って前と後ろに働く。行は真の湾曲する側の前隅へ、留は行とは反対側の前隅に振り出されて、それぞれ円内におさまる。小隅は行の側の後ろ、内胴は留の側の後ろ隅に振り込まれて、それぞれ円内におさまる。

生花の花体は、流し枝の数や形態上の変化によって真、行、草の三態に分けられる。真の花体は正格花矩とも言い、真を除くすべての花枝が円の内におさまる形を言う。行の花体は変格花矩とも言い、真流し、真添流し、肩流し、内胴流し、行流し、留流しなどのように、真を除く役枝の一つが曲を描いて円の外にはみ出す形を言う。草の花体は破格花矩とも言い、複数の役枝が円外にはみ出して働く形を言う。補天格、助他格、富士流し、観世流しなどの曲いけや掛けいけ、釣りいけなども草の花体となる。

また、本勝手(右勝手)、右の花と逆勝手(左勝手)、左の花の別があり、豊かな曲線美による流麗で派手やかな花風が、遠州の生花を著しく待徴づける。

 
正格花矩の花体(模式図)
左:二段の花体(陰陽生け)
中:三段の花体(花体の三大)
右:九段の花体

━━━読み方━━━
真(天)─しん  行(人)─ぎょう  留(地)─とめ
真添(日)─しんぞえ(じつ) 肩(月)─かた(げつ) 
内胴(星)─うちどう(せい)  小隅(辰)─こすみ(しん) 
外胴(乾)─そとどう(けん)  留真(坤)─とめしん(こん) 
寸度─ずんど  正格花矩─せいかくかく 変格花矩─へんかくかく
破格花矩─はかくかく 補天格─ほてんかく
助他格─じょたかく 観世流し─かんぜながし
段矩─だんく